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助成対象詳細

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2019 研究助成 Research Grant Program     

自然と関わる「経験の消失スパイラル」 ―全国スケールの実態解明と適応策の提案
The Extinction of Experience: Understanding its Nationwide Nature, Extent and Implications

企画書・概要

Abstract of Project Proposal

急速な都市化や生活様式の変化に伴い、我々が自然と接する頻度は減少の一途を辿っている。 こうした現代社会に蔓延する「自然離れ」は「経験の絶滅」と呼ばれ、公衆衛生や環境保全な ど複数の学術分野で重要な問題として認識されつつある。実際に、自然との関わりが少ない人 は心身の健康状態が低いだけでなく、環境保全に対して消極的な態度を示すことが、明らかに なっている。これらの発見は、経験の絶滅が現代社会に蔓延する様々な心身の健康課題の背景 要因、および環境保全を停滞させる根本的な要因であることを示唆し、その進行が持続的社会 の構築の障害となることを意味する。更に、経験の絶滅は世代やコミュニティを跨いで伝播し うるため、気づかないうちに社会で蔓延する恐れがある。しかし、これまで経験の絶滅に関す る研究は、各学術分野の焦点に基づく地域事例に限られ、この現象の国スケールでの実態(発 生・伝播プロセスや人と環境保全に与える負の影響)や緩和策(それら負の影響を軽減する方 法)は未検討である。本企画では、経験の絶滅の実態を全国規模で把握するとともに、将来求 められる緩和策を検討することで、新しい学術領域を開拓する。
Due to rapid urbanization and lifestyle changes, over recent decades regular daily contact of people with nature has been in persistent decline. This ongoing separation of humans from the natural world is called “the extinction of experience”, which is increasingly recognized as an important issue in a wide range of fields. In fact, recent studies showed that those who do not regularly interact with nature are likely to experience poorer health outcomes and are less motivated to want to protect it. This suggests that the extinction of experience likely acts as a driving factor of several major health issues we face today and one of the fundamental obstacles to reversing global environmental degradation. In other words, the extinction of experience is likely to be a major obstacle to achieving a sustainable society. Furthermore, there are likely to be feedback loops by which the consequences of the extinction of experience cause further disaffection towards nature, implying that this phenomenon prevails within a society rapidly. Nevertheless, studies regarding the extinction of experience tend to be based on data from local-scale surveys from a discipline-specific perspective, and thus our understanding of its general nature and extent remains infantile. In this project, we explore the nature (causes and consequences) of the extinction of experience at a nation-wide scale in Japan, and make several strategic recommendations required to reduce and ultimately reverse this phenomenon.
 

実施したプロジェクト内容と方法

Describe the implemented project and the method used

急速な都市化やライフスタイルの変化に伴い、我々が自然と接する頻度は減少の一途を辿っている(図1)。実際に、日本や米国を始めとした多くの先進国において、ここ数十年の間に人々の自然との関わり合いが著しく減少したことが報告されている。こうした現代社会に蔓延する自然との関わり合いの衰退は「経験の絶滅」と呼ばれ、最近、保全生態学を始めとした複数の学術分野で重要な問題として認識されつつある。実際に、自然との関わりが少ない人は心身の健康状態が低いだけでなく、生態系保全に対して消極的な態度を示すことが明らかになっている。つまり、経験の絶滅は現代社会に蔓延する様々な心身の健康課題の背景要因および生態系保全を停滞させる根本的要因として機能している可能性があり、その進行が持続的社会の構築の障害となることを意味している(図2)。


経験の絶滅に対する学術的・社会的認知が高まる一方で、この現象に関する包括的な理解や議論はほとんど進んでいない。実際にこれまで人と自然との関わり合いを扱った研究は、各学術分野(保全生態学、公衆衛生学、環境教育学など)の焦点に基づく地域事例に限られており、この現象の全体像(発生・伝播プロセスや広域的影響)は未だ把握しきれていない。また、経験の絶滅に関する議論は萌芽段階であるため、経験の絶滅やそれに伴う負の影響の具体的な緩和策も未検討のままである。そこで本研究では、経験の絶滅の発生パターン・プロセスとその影響(健康や生態系保全に与える影響)を国土スケールで明らかにするとともに、経験の絶滅がもたらす負の影響を緩和するために有効な具体策を提案することを目的とした。


本研究は4つのサブテーマで構成される。サブテーマ1では、大規模なアンケート調査を実施し、経験の絶滅の実態と発生プロセスを探った。サブテーマ2では、アンケート調査ならびに疫学調査を行い、経験の絶滅が人の健康に与える影響を調べた。サブテーマ3では、経験の絶滅と生態系保全意欲・行動の関係を分析した。サブテーマ4では、栃木県の小中学校と協力したアンケート調査を行い、経験の絶滅の伝播プロセスを探った。最終的にはこれらのテーマで得られた知見を基に、人と自然の関わり合いのダイナミクスの全体像を総説論文としてまとめた。

  • 図1. 昆虫採集に興じる子供たち
  • 図2. 「経験の絶滅」は、我々の健康を劣化させるだけでなく、人々の自然に対する興味・関心や保全意識を低下させる(A)。こうした自然に対する関心・保全意識の低下は、自然と接する機会や意欲の減少につながる恐れがあり(B)、経験の絶滅には負の連鎖が存在することが予想される(C)。

助成期間終了時点での成果と今後期待される波及効果等

Describe the results at the end of the grant period and expected ripple effects

本研究は、実施中に「新型コロナウイルス感染症のパンデミック」という大きな社会状況の変化に見舞われたが、当初の予定通り、4つのサブテーマおよび総説論文の執筆を完了することができた。まずサブテーマ1で経験の絶滅の実態と発生プロセスを探った結果、(1)幼少期における自然体験(自然観察や登山、林の散策等)が多くの地域で減少していること、また(2)こうした自然体験の減少は「都市化」だけではなく、自然に対する興味・関心の低下でも説明できることが分かった。つまり、現在起きている経験の絶滅は自然と関わる「機会」と「意欲」の喪失という二つの要因によって引き起こされていると言えよう。


サブテーマ2では、自然体験と人の健康の関係性を探った。2020年6月(東京都において新型コロナウイルス感染症に対する緊急事態宣言が発令されていた期間)に東京で大規模な疫学調査を行ったところ、日常的な自然体験(ここでは緑地の利用頻度と窓から見える緑の二つに注目した)はコロナ禍における人のメンタルヘルス(鬱度、人生満足度、幸福度、自尊心、孤独感)と正の関係性を持つことを示した(図3)。これにより、自然体験が喪失することで人の健康・幸福が劣化することが示唆された。


サブテーマ3では、自然絶滅と生態系保全意欲・行動の関係を分析した。2021年に全国大規模アンケート調査を行った結果、人の生物多様性保全意識ならびに行動(絶滅に瀕する魚介類の消費を控える、生態系保全団体に募金する等)と幼少期の自然体験頻度の間には正の関係があることが分かった。興味深いことに、幼少期の自然体験頻度が通ヶ月に一回程度ではあまり保全意識・行動は高まらなかったが、月に一回以上では飛躍的に高まることが分かった(図4)。以上の結果は、経験の絶滅が進行することで、社会の生物多様性保全意識・行動のレベルが低下し、生態系保全に負の影響をもたらすことを示唆している。


サブテーマ4では、栃木県の小中学校(教員)を対象としたアンケート調査を行った。調査・分析の結果、幼少期に自然体験をしなかった教員は自然に対する関心が低くなり、理科の授業中に自然体験をベースとした活動をあまり行わなくなることが明らかとなった。つまり、経験の絶滅は世代を跨いで伝搬する可能性が示唆された。


以上、本研究では経験の絶滅の実態・形成プロセス・帰結を統合的に明らかにすることができた。

  • 図3. コロナ禍における鬱・不安症状と関連する様々な要因を示す。正および負(破線の右および左)の効果量を持つ要因は、それぞれ鬱・不安症状の程度と正・負の関係であることを意味する。この結果は、自然体験の効果が収入や性別等と同程度であることを示唆している。
  • 図4. 全国5万人を対象に幼少期の自然体験頻度と保全行動の関係を調べた分析結果を示す。両者の間には正の関係があることが分かり、月に一回以上自然体験をしていたグループは保全行動を行う傾向が強くなることが分かる。。

プロジェクト情報

Project

プログラム名(Program)
2019 研究助成 Research Grant Program     
助成番号(Grant Number)
D19-R-0102
題目(Project Title)
自然と関わる「経験の消失スパイラル」 ―全国スケールの実態解明と適応策の提案
The Extinction of Experience: Understanding its Nationwide Nature, Extent and Implications
代表者名(Representative)
曽我 昌史 / Masashi Soga
代表者所属(Organization)
東京大学大学院農学生命科学研究科
Graduate School of Agricultural and Life Sciences, The University of Tokyo
助成金額(Grant Amount)
5,800,000
リンク(Link)
活動地域(Area)